ここでのブログや、お料理教室でも度々話に出てくる
うちの母について今日はお話しします。
私の母は2017年の9月に62歳でこの世を去りました。
スキルス性の胃癌でした。
あまりにもあっという間に逝ってしまったので最近まで母がいなくなった実感が全然ありませんでした。今でもふと,もしかしたら海外出張にでも行っているだけで、そのうち帰ってくるのではないかと思う日もあります。
音大を卒業後宮崎に戻ってきてピアノの先生をしていた母ですが、父と出会い、タッパーウェアの魅力に惹かれ、タッパーウェアのマネージャー(販売員)として最後まで活躍していました。全国でも常にトップセールスだったようで、全国会議などの出張後母が持って帰ってくる入賞トロフィーがとても楽しみでした。
また、トップセールスの人だけが行ける海外プロモーションなどもよく獲得していたのでとてもたくさんの国に行っていました。
その中でも一番良かった国は『ニューカレドニア』だったとよく話していました。
私もいつか行ってみたいです。
祖母の介護が必要になるまではピアノの先生をしながらタッパーウェアのお仕事していました。ピアノの生徒は一番多い時で70人ほど教えていたと聞いています。
その上子育てまでしていたと思うとびっくりですね。
忙しそうだなと子供ながらに思っていましたが、特に寂しい思いをしたりすることは全然ありませんでした。
私が小学生になると母と私の交換日記『メッセージノート』が始まりました。
これは私が学校から帰ってくと必ず読まないといけないノートでした。
うちには帰ってくると事務員さんが必ずいたので鍵っ子ではなかったのですが両親は仕事でいなかったのでこのノートで母が今日何をしているのか何時ごろ帰ってくるのか、おやつがあるのかなどいろんなことが書かれていました。
時には、夜が帰れない日や遅くなる日にはレシピが絵付きで書いてあり、それを見ながら作ったりもしていました。
母が毎日マメに書いてくれているのですが、私の返事は…。笑
はーーーーい!や、遊んできまーーーーす。など雑なものばかりでした。笑
時には母に言われた通り作ったお料理を3分ではなくて2分半くらいが良かったです。
なんて書いてる日もありました。笑
また、母がたまに忙しくて書いていないと、今日はなんで書いてないんですか?なんて、自分は適当な返事しかしていないのに催促したりしていてちょっと笑ってしまいました。
母によく、このメッセージノートは将来絶対思い出になるから続けよう。いつか笑えるから続けよう。ってずっと言われていたのを覚えています。
(本当にそうなりましたね…。笑)
この『メッセージノート』はたしか4年生あたりまで続けていたのでもっとあるはずなのですが…ちょっと見当たらなくて。
また大掃除をしたときに探してみます!
また、どこかで斉藤家の不思議な習慣をご紹介します♪笑
楽しみにお待ちください。
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